居場所があることの安心感

タイトルの通り、自分の居場所を持っているかどうかで、生きる上での安心感が増していくと思うんですよね。それも、居場所があればあるほど。

 

居場所ってなんだって話なんですけど、ぼくのなかでは、「自分の素をいつのまにか引き出してくれる場所」です。今のところ。

無意識に気をつかってしまう人と関わっているときは、自分の居場所が確保されていません。素が殺され、自然体の自分ではない状態だからです。

 

こいつの前では無理せずノリノリだけど、あの人と話してるときはなんか疲れるんだよなぁ、ってときないですかね。前者が居場所になってくれています。

 

ちなみに居場所は「場所」でもあるんですが、「人」の要素の方が大きいように思えます。

素を引き出してくれる人がまわりにいればいるほど、安心感が増し、常に自然体でいれるようになります。

 

安心感があるから自然体でいられるような気もしますが。何しても恥ずかしくない、という安心感が素を引き出してくれるような。

 

ぼくのシェアハウスは、ただの「場所」ではなく、「人」ありきの居場所に。誰でも自然体でいられる居場所に。