不登校は不幸じゃない

「#不登校は不幸じゃない」

 

Twitterで最近みかけるハッシュタグです。このタグについて動画でコメントし、次に話してほしい人にバトンをつないでいくというもの。

 

ぼくは不登校の経験がないので、あまり興味をもちませんでしたが、それでもよく見かけていました。

そんななか、なんとぼくにバトンが。不登校に対して関心がなくてもいいのかときいたところ、大丈夫みたいなので、これを期に真剣に考えてみたいと思います。

 

動画をとるまえに文章にして、ひととおりまとめとこうみたいな感じです。

 

小学校から高校までの、ぼくよ不登校に対してのイメージは、「かわいそう」、この一言しかありませんでした。

学校という世界がすべてだとおもっていたので、世界からはみ出してしまったさみしい人たち、という印象でした。

 

ぼくには不登校になった人たちに共感することはほとんどありませんでした。完全に本音です。

 

しかし、今の印象はかなり真反対。

いわゆる、普通の道といわれる「大学」を飛び出してからというものの、「かわいそう」だなんて一ミリも思わなくなりました。

 

体感なんですけど、「人間が深いなあ」「魅力的だなあ」とか思っている人たちが不登校だったケースがとても多いです。

のほほんとなにも考えずに生きてきたぼくとはちがい、成長期にいろんな葛藤とか苦しみと戦ってきたからなのかなあとも思っています。

 

不登校が終わったらなんとかなるぞ」「いいこと待ってるぞ」みたいなことを言いたいわけではないです。ぼく自身な不登校になったことないですから。

 

伝えられることがあるとすれば、不登校なんてまったく気にしてない、むしろプラスとされる世界もありますってこと。

 

ぼくはここ一年、大学いろんな人に会ってきました。不登校の人もちらほらいます。不登校の話題もあがります。

 

不登校だったことがあって‥」と話す人に、「いいですねいいですね~」という肯定から入るところだってあります。冗談とかネタ要素じゃなくて、素で不登校に魅力を感じている人たちです。

 

20歳にしてはいろんな種類の人に会ってきた自信はありますが、世間的にみたらまだまだ世界を知りません。それなのに、不登校を気にしないひとがこんなにいるということは、もはや不登校が不幸なんて言葉は意味がわからなくなりそうですね。「いやいや、気にしてないよそんなの」くらいな。

 

まあ、がんばりたくないときはがんばらないでいいと思うんで、無理しないでくださいね。