大学は選択肢を広げるツールにすぎない

休学する前は、ただただ大学にいかずに、東京で行われているイベントにたくさんでていた。
そこで、香川でうどん屋さんをやるとかいうおじさんに言われた。

 

「大学に行きもしないでフラフラしてるヤツには興味がない。」
「大学で学んで、なにかひとつに詳しいヤツの話のほうがおもしろそう。」

 

なるほどとおもったぼくは、大学に戻ってみることにした。農学部でなにかに詳しくなったぼくと、いまのぼくを比べると、前者のほうがおもしろそうだったから。人として魅力が増してそうだから。

 

もともと知識欲もあるから、勉強は嫌いではなかった。むしろけっこう好き。だから真剣に勉強してみた。学校行く前にスタバで授業の予習、授業は寝ないようにしっかりきいた。復習もした。
ふつうにおもしろかった。おもしろかったけど、生活がおもしろくない。毎日おなじようなことを繰り返してることがとにかくキツい。

 

毎日ちがう人とあって、毎日が非日常だった東京のほうが、もっと楽しかった。だからぼくは行くのをやめた。一ヶ月だった。飽き性のぼくにしては続いた方。そしていまは休学している。

 

ぶっちゃけ、大学はどっちでもいいとおもう。いまではいろんな生き方があって、一般的な社会人として就職、というルートじゃない人生を送っている人なんてたくさんいる。ただ自分が知らなかっただけ。世界が狭すぎただけだった。

 

冗談ぬきで、大学いかないと死ぬとおもってた。就職しないなんてもってのほかだった。

 

リアルで話した人もそうだし、SNSでいろいろな生き方を目にし、「普通の生き方」がなんなのかもわからなくなった今、ただ大学は選択肢を広げるツールとしか認識してない。

選択肢を広げるのは大学だけではないこともたしかだ。人と会うこと、旅をすること、漫画を読むこと。選択肢を広げることなんていくらでもある。大学もそのうちのひとつ、そんな認識だ。